サルでもできることだけど…
「チンパンジーは絶望しない。」
先生が教えてくれました。
なぜチンパンジーが絶望しないのかというと『今ここ』という世界に生きているから。
眼の前で起きていることにしか興味を持っていない。持てない。
未来に思いを巡らせることがない。
だから「将来どうしたらいいの?」とか「どう生きればいいの?」と悩むこともありません。
だから、絶望しないそうなんです。
だけど、その代わり…
前回に引き続き、夏期スクーリングの中で聞いた話を紹介します。
(スクーリングとは、実際に学校に行って、講義を聞くことです)
今回の内容は、1日目の4限目。
『共感』についての講義でした。
『共感』と言っても、大きく2種類に分類できるそうです。
1つ目が『情動的共感』。
2つ目が『認知的共感』。
『情動的共感』とは「他者が感じているような感情を抱いたり、自分の中で感情が起こること」を言います。
相手と同じように笑ったり泣いたり怒ったり悲しんだりする感じです。
これはサルにもできます。
でも『認知的共感』は「他者の立場になって心的状態を理解すること」であり、これはサルにはできません。
じゃあ『認知的共感』だけがあれば『情動的共感』なんてなくていいのかというとそうでもないらしく…
というか、それはとても危険なことかもしれないんです。
また先生は『共感』のネガティブな側面についても話してくれました。
あまりにも共感しすぎると、自分が辛くなることがある。
と。
例えば同じような境遇、同じような問題での悩み、傷ついた体験を持ち、それが未解決なまま。とか。
そうすると、相手を援助することで自分の問題も解決しようとして、思い入れが強くなってしまったり、無力感を感じてしまったりする。
だから、援助する側は、自分の問題は持ち込んじゃいけないし、できれば事前に解決しておく方がいい。
そうじゃないと…
「自分も乗り越えられへんくせに、『大丈夫。絶対乗り越えられるよ!』ってどの口が言うてるねん!ボケ!」って言いたくなりませんか?
えっ?そんな汚い言葉は使わないよって?
それは失礼しました。笑
『サイコパス』という言葉を聞いたことがあるでしょうか?
連続殺人犯に多いとされる特徴で、良心の欠如、他者に冷淡、自己中心、罪悪感がない 等の特徴があるらしいのですが『共感』という観点で見ると
『認知的共感』は保たれているが、『情動的共感』は低い。
ということが言えるそうです。
つまり、相手の気持ちを頭では理解できるが、同じ気持ちにはならない。もしくはなれない。ということ。
だから『情動的共感』も大事。
たとえサルにもできることだとしても、馬鹿にしちゃいけないんです。
そこを失ったら、人間らしさを失うことにもなるんですから。
「チンパンジーは絶望しない。」
そう聞いた時「なんかいいなぁ〜」って思っちゃいました。
それに「今ここ」にしか興味がないというのもかっこいいですよね。
「昨夜はどこにいたの?」
「そんな昔のこと、覚えてないね」
「今夜逢える?」
「そんな先のことは分からない」
(映画「カサブランカ」より)
みたいな感じですかね。
言ってみたいなぁ。そんなセリフ。
でも、先生は教えてくれました。
「チンパンジーには希望もない。」
言われてみればそうなんですよね。
未来に思いを巡らせることがないのだから。
『絶望がない』のはいいけど…
『希望がない』のは嫌ですよね。
♪サルにはなりたくな〜い。♪
『さよなら人類』唄:たま
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