うつ病と共に歩み、生きる。そして、こだわりをとかす。

何が起きるかわからない人生だから…

2019.01.17


 うつ病再発予防コーチの中野です。

 

 24年前、私は大学5年生でした。

 

 本来であれば、大学を卒業して大阪で就職しているはずでした。

 

 卒業論文も出し終えていましたし、大阪のIT系の会社から内定も頂いておりましたから。

 

 単位はギリギリでしたが、卒業論文も出し終えて、会社から内定も貰っている学生を、卒業させないはずがないと思っていました。

 

 でも、考えが甘かったようです。

 

 たった数単位足りないだけで留年。

 

 一気にお先真っ暗になりました。

 

 とりあえず、内定を頂いた会社に、留年したことと内定を辞退さて頂く旨を書いた手紙を送りました。

 

 親にも連絡しました。

 

 「4年間分の学費は払ってやるが、5年目以降は自分で何とかしなさい」

 

 そう言われました。

 

 当然ですよね。

 

 自分が至らなかったせいで留年したわけですから。

 

 でも…いろいろ悩みました。

 

・たった数単位のために学費を払う?

・年間100万円も、どう工面する?

・生活費はどうする?どこに住む?

 

 そして、頭がいっぱいになって…

 

 ゼミの教授や大学の総務に相談してたどり着いた答えが、新聞奨学生。

 

 毎朝新聞配達をすれば、年間60万までは新聞社が払ってくれる。

 

 その上、住む部屋も用意してくれるし、朝ごはんも用意してくれて、月に5万円の給料もあるとのこと。

(あくまでも1994年当時の待遇)

 

 「これなら、なんとかなる」

 

 そう思いました。

 


 

 というわけで、24年前の今ごろ、私は大学5年生として新聞配達をしていました。

 

 でもそれも、あと2ヶ月。

 

 2ヶ月後には、大学からも新聞配達からも卒業し、東京の会社に就職する予定でした。

 

 留年がわかった時には、もう未来はないと思っていたけど、代わりに東京の会社から内定を貰えました。

 

 人生って、わからないものですね。

 

 運がいいのか悪いかなんて、あとになってみないとわからないものです。

 

 そんな時でした。

 

 阪神淡路大震災が起きたのは。

 


 

 多くの方が被災されました。

 

 多くの方が亡くなりました。

 

 私は名古屋にいたので、被害なんてありませんでしたが…それは留年したから。

 

 もし留年せずに卒業をしていたら、大阪にいたはずです。

 

 確実に被災していたはずです。

 

 もしかしたら、死んでいたかも…

 

 いまこうしているのは、留年をしたおかげなんです。

 


 

 生きていれば、いろんなことがありますよね。

 

 落ち込むこともあるし、悩むこともあるし、絶望することもあります。

 

 病気になることもあるし、死にたいと思うこともあるでしょう。

 

 でも…いま私達は幸せなんです。

 

 だって、こうして生きているから。

 

 悩んだり、絶望したりできるのも、生きているからこそ。

 

 死んでしまったら終わりです。

 

 そして…

 

 いつ死ぬかなんてわかりません。

 

 もしかしたら、明日死ぬかも。

 

 地震があるかもしれないし、誰かが爆弾を落とすかもしれない。

 

 どこからか車が突っ込んでくるかもしれないし、突然人に刺されるかも。

 

 いつ何が起きてもおかしくない。

 

 だから…

 

 生きているうちに、やりたいと思うことをやっておきたいですよね。

 

 もしかしたら、悩んだり絶望したりしている暇はないかもしれませんよ。

 

 いつ死ぬかわからないんですから。

 

 最後になりましたが…

 

 阪神淡路大震災で亡くなった方々。

 

 東日本大震災で亡くなった方々。

 

 不慮の事故で亡くなった方々。

 

 すべての方々のご冥福を祈ります。

 

 安らかにお眠りください。

8288889604_0ef931e1a9_b

 うつ病に伴う悩みや心配ごとなど、まずは気軽に、ご相談ください。

    お名前※

    例:中野 剛士

    メールアドレス※

    半角入力 例:info@tokasu.com

    お問い合わせ内容



    PDF

    関連記事

    にほんブログ村 メンタルヘルスブログ うつ病(鬱病)へ