心配と便利な時代とストレスと
大学時代の恩師から留守電が入っていました。
午前中に電話があったようですが、留守電に気づいたのはお昼過ぎ。
「え?先生から?…もしかして…」
ちょっと心配になりました。
先生はそれなりの年齢ですから…
ご家族からの訃報連絡かもしれないと思ったわけです。
だから急いで留守電のメッセージを聞いてみたわけですが…
1件目は無言。
2件目は…音声が途切れ途切れで、何を言っているのか聞き取れず…
とにかく一刻を争うとしたらマズイと思い、電話を折り返しました。
でも…誰も出ません。
「一体何があったんだろう」
心配は大きくなる一方でした。
こういう時ってありますよね。
昔と違って、ほぼ全員が携帯電話を持っているような時代ですから、いつでも連絡しようと思えばできる分だけ連絡がつかないとイライラしたり心配したり。
昔は家にしか電話がなかったので、今のようなイライラはありません。
本人が一人暮らしであれば「外出中かな?夜にでもかけなおしてみよう」とも考えます。
本人が実家暮らしであれば、家族の誰かが電話に出るはずですから、伝言を頼むこともできました。
要するに、本人とすぐに繋がらないのが当たり前の世界でしたから、すぐに繋がらないことを前提に行動できていたわけです。
現代のように、ちょっと電話が繋がらないだけで
・なんで電話に出ないの?
・何かトラブルでもあったの?
・もしかして着信拒否?
なんて、イライラしたり、心配するようなことはなかったわけです。
要するに…
何を当たり前と思うかで、ストレスが変わってくるわけです。
そういう意味では、昔の当たり前と今の当たり前は違うので、ストレスの量も質も変わってきているはずです。
昔よりも遥かに便利になったおかげで、昔よりも遥かに「当たり前だ」と思うことが増え、結果的に、昔よりも遥かにストレスが増えていますよね。
いろいろ便利になった分だけ、私達は心の余裕をなくしているのかもしれませんね。
何度か電話したら繋がりました。
「あぁ良かった。やっと繋がった」
電話の向こうから先生の声が聞こえてきました。
「生きてらっしゃったんですね」
そう思いながら口には出さず。 笑
「どういう用事でしたか?」
と聞くと…
何でも、私のことが心配だったとのことでした。
振り返れば、会社を辞める時に連絡した以降、連絡が途切れていました。
それで、先生としては
・あれ以降、一体何をしているのか
・どうやって生活しているのか
・ちゃんと食べていけているのか
・元気にしているのか
と心配してくれていたようです。
私が心配するよりも、遥かに先生の方が心配してくれていました。
心配をかけるようじゃダメでしょうけど、心配してくれる人がいるというのは幸せなことですね。
こういう人を大事にしていきたい。
そう思っています。
あなたはいかがですか?
心配してくれる人を大事にしてますか?
もしかして心配されるのは当たり前だなんて思っていませんか? 笑
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