『さびしさ』という感情について
記念日の前日である今日は、合唱団の練習日でした。
先週の練習は、痛風の発作でお休みしたので、2週間ぶりの練習です。
1週間続いた痛風の発作も、今日になってやっと収まってきて、やっと、普通の人と同じくらいの速度で歩けるようになりました。
とは言え、階段の上り下りは厳しい状態で、急ぎ足で歩くのも厳しい状態ですけど。苦笑
実は、少し気が重かったんです。
今週から、私だけ知らない曲の練習が始まるということを聞いたので。
その曲は、私が入団する前に練習をされていた曲。
私以外の方にとっては、充分に練習した曲で、懐かしささえ感じる曲。
私だけ取り残されるのは目に見える感じでした。
「急に仕事が忙しくなって、練習に行けなくなることはないだろうか」
なんて、トラブルを期待したり…
こういうことってありませんか?
なんか、自分だけ取り残されるのが嫌で、そんな状況になるくらいなら、そこに行かない理由を考えて欠席することを企んだり。
少しずつフェードアウトして行き、自然消滅を企んだり
「やっぱり、やめておこうかなぁ」
なんて、行かない雰囲気を漂わせて「そんなこと言わずにおいでよ~」と誰かが誘ってくるのを待ってみたり。
みんな寂しがり屋ですからね。
誰だって、ひとりぼっちは嫌です。
だから、構って欲しいと思う。
それを「子供っぽい」とレッテルを貼るから、素直に寂しいと言えない。
ねぇ、私を見て!!
ねぇ、私の話を聞いて!!
ねぇ、私を認めて!!
素直に言えばいいんだけど…大人のプライドなのか、恥かしさからなのか素直に言えない。
そして、そう思っている自分自身を「まだまだ子供だな」と否定したり。
でも、寂しいものは寂しいもの。
寂しいと思うことに、大人も子供も関係ないんですよね。本当は。
寂しいと思うのは普通なんです。
だから「ひとりぼっちになるかも」と不安に思う気持ちも仕方がない。
でも、ひとりぼっちになるかどうかは行ってみないとわからないわけで。
でも、行かなければ、ひとりぼっちになるのは確実。
ひとりぼっちになるのが嫌なのに、自分からひとりぼっちになる状況を、作りだしたりしてるんですよね。
そんなことを考えてるうちに、時間が近づいてきました。
こういう時に限って、何も起きず…
いつもより、早めに仕事場を出発。
余裕で間に合う時間に出れたので、階段もゆっくりと上り下り。
電車の乗り換えも焦らずゆっくり。
めずらしく、座席にも座れました。
そして、自然と眠くなりまして…
そして、目が覚めたら…
降りるはずだった駅で…ちょうど、扉が閉まった瞬間でした。
「あっ!ここで降りま~す!!」
って、バスだったら開けてくれますけど、電車は無情にも走り出します。
結局、隣の駅まで5分かかり…乗り換えて…5分かけて戻って…
合計10分ちょっとのロス。
ギリギリの時間になりました。
慌てて階段を駆け上がり、改札から練習会場までも急ぎ足で…なんとか、始時間に合いました。
不思議なものですね。
あの時間は、足の痛みはありませんでした。
そして、合唱団の練習に参加。
今日は、ある曲の歌詞が、耳に残りました。
♪さびしさは甘えじゃない♪
谷川俊太郎氏作詞の『空』。
今日は、妙に心に響きました。
あなたは、どう思いますか?
『さびしさ』という感情について。
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