「こちらになります」。
そう言って、男性がドアを開けると、そこには女性が待っていた。
部屋の広さとしては、四畳半ほどだろうか。
初めて見る顔だ。そしてまたそれは、相手にとっても同じだろう。
お互いに名前だけの自己紹介を終えると、女性は本題に入った。
「さて、中野さん。今日は、どういう理由でここに呼ばれたのか、わかっていますか?」
実際には、それほど強い口調ではなく、優しい穏やかな言い方だったと記憶しているが…
私は、全身が一瞬で硬直するのを感じた。
今回は、小説の冒頭の様な書き出しになりましたが、数日前にあった出来事です。
知らない人からいきなり質問されると、緊張しますよね。(笑)
一瞬で「正解は何だろうか。なんて言えば怒られずに済むだろうか」と考えてしまうのは私だけでしょうか?
そして、私の場合は、古い記憶を思い出します。
「なんでそんなこともわからないの?!」という大声の前で縮こまる私。
「黙ってても仕方ないでしょ!ウンとかスンとか言いなさい!」と言われ「ここでスンとか言ったら余計に怒るだろうなぁ~」と心の中で呟く私。
そして、どう言えば、この場を切り抜けることができるだろうかと考える私。
それは、全て亡き母との思い出でした。
この記事を書いている5月11日は、母の日。
母のことを、心の底から嫌っていた私にとって、何故母の日などと言うものがあるのか不思議でなりませんでした。
私以外の人たちは、みんな自分の母親のことが大好きなんだろうか。
私以外の人たちは、心から母親に感謝し、その気持ちとして花やプレゼントを贈るのだろうか。
自分の母親を嫌っているのは、私だけなんだろうか。
自分の母親を嫌っている私の方が変なのだろうか。
私は普通の人とは違う、悪魔の様な子なんだろうか。
こんな私は、生きていてはいけないのではないか。
毎日毎日、家では怒られ、学校でも叱られ、いじめられ…
何のために産まれてきたのだろうか…
いっそ、消えてしまう方が、周りにとって幸せなのではないだろうか。
そう思って、夜中に起きだして、台所で手首に包丁を当てたこともあります。
結局、手首を切る勇気もなく、そのままそっと包丁を戻し、メソメソとベッドに戻ったことを思い出します。
その頃からか、私は自分の感情に蓋をする様になりました。
その方が、自分も他人も責めることなく平穏に暮らせると思ったからです。
そんな幼少期を経て、社会人となり、ある自己啓発セミナーを受けた時でした。
いろんなワークを経て、自分をさらけ出さざるを得ない状況になった時、私は言いました。
「私なんか、居ない方が良いんだ!」
そして、講師が言いました。「出身地の方言では何て言うんだ!言ってみろ!」
「わしなんか、この世に居いひん方がええねん!!」
「もっと大きな声で言ってみろ!」と講師。
「わしなんか、産まれんほうが良かったんやぁ!!!」
・・・
気づけば、一緒にセミナーを受講していた仲間が泣いていました。
私は、驚きました。「なんで、あんたらが泣いてるの?」
そして、気づけば私も泣いていまました。
おそらく、その時だと思います。
長らく蓋をしていた私の感情の蓋が開いたのは。
そこから私は、喜怒哀楽を実感する様になりました。
そして、母のことを嫌っている自分が悲しいと思う様になり、本当に思っていることを母に伝えたいと思い、電話をしました。
最初は「そうかぁ、そんなこと思ってたんかぁ」と困惑している様子でした。
そしてその翌日、今度は母の方から電話がありました。
「実は、昨日電話をもらってからいろんなこと考えてなぁ・・・眠れんかったわ」と母。
そして・・・
「ごめんなぁ。悲しい思いさせて…お母さんもあの時は必死やってん…」
・・・
実は、私の父と母の間の子は私しかいません。いわゆる私は一人っ子です。
そして、私の父は三人兄弟の長男。そして父の父、私にとっての祖父が中野家の家督を継いでいました。
つまり、私は長男の長男。将来中野家を継ぐべき者として産まれてきたわけです。
そして母は「将来中野家を継ぐべき者として育てなくてはいけない」という重圧を担いました。
そして、俗に言う「一人っ子は甘やかされがち」という話を聞いた母は「決して甘やかしてはいけない!」と心に誓い、甘える様なことは私に許さなかった…
そんな背景があったことを母から聞きました。
「ほんまは、もっと優しくしたかった…ほんまはもっと抱きしめてあげたかった…」
電話口の向こうから、母の涙声が聞こえてきました。
そして、私は…一緒にただ泣いていました。
ちょっとセンチメンタルな話になってしまいましたね。
なぜ、今回こんなことを書きたくなったのか…
それは、今は私にはわかりませんが…何か意味があるのかもしれません。
これを読む誰かにとって、必要なタイミングだったのかもしれません。
必要な人に必要なことが届くといいなぁ~と思っています。
おっと!あぶない!話を締めるところでした。
危うく、冒頭の話の種明かしを忘れるところでした。(汗)
「さて、中野さん。今日は、どういう理由でここに呼ばれたのか、わかっていますか?」
(本当は、もっと優しい言い方で、笑顔の素敵な方でしたので誤解無き様。)
の話ですが、実は、昨年受けた健康診断の結果、特定保健指導の対象者になったということで…
「ステップ1で、腹囲が85cm以上の方でも、ステップ2で、該当項目が1個しかなければ、八王子市としては『動機付け支援』の範囲なんですが…」
「中野さんの場合、ステップ1で、腹囲が85cm以上に該当する上、ステップ2の該当項目、つまり、高血糖、脂質異常、高血圧の全てが該当するので、八王子市としては『積極的支援』の対象となり、本日お越し頂いたわけです。」
「なるほど。理解致しました。」と申し訳なさそうな雰囲気を出す私。
「というわけで、これから改善ポイントを一緒に探り、どこ改善するか、そして、数値目標を決めていきたいと思います。」
「はい。わかりました。」
そして、その後30分ほどかけて、改善ポイントと数値目標が決まりました。
改善ポイントは「夕食の量を三分の二にする」、「主菜は片手のひらに2つまでにする」の2つ。
そして、数値目標は、3カ月後に体重を3キロ減、腹囲を3cm減です。
ついでに6ヶ月後には、体重を4キロ減、腹囲を4cm減です。
出来そうな気がするくらいの目標が良いですよね。
今は亡き母へ。お母さんは僕を甘やかさなかったかもしれないけど、僕は僕自身が自分を甘やかしすぎて、こんな身体になってしまいました。(汗)これからは少し自分に厳しくなり、目標を達成しようと思うから、見ててや~。(笑)
おしまい。