うつ病と共に歩み、生きる。そして、こだわりをとかす。

喪に服すということ

2021.10.31


 今日、産まれて初めて、喪中のはがきを出してきました。

 

 そして、喪中のはがきを出すことで、改めて、自分が喪中であることを実感する私。

 

 何故、喪に服する必要があるのかわからず、喪に服そうとしている私。

 

 別に、派手な行動をしたいわけでもない。

 

 別に、明るく振る舞いたいわけでもない。

 

 でも・・・

 

 「喪中の間は、外出や社交的な行動を避けて身を慎まないといけない」と言われると、反発したくなる。

 

 「やってはいけない」と言われると、反発したくなる。

 

 でも・・・

 

 なんか後々、面倒なことになるのは嫌なので、理由もわからないまま、従おうとする私。

 

 なんだか釈然としない気持ちのまま。

 


 「一周忌は、どうするつもり?」

 

 そう聞かれて、初めて、「そうか〜。もう少しで一年か〜」と実感する。

 

 今年の1月に母が亡くなり、いつのまにか春が過ぎ。

 

 いつのまにか夏も過ぎて、もうすぐ秋も終わろうとしてる。

 

 そして、皆さんが年賀状を書こうとする前に喪中のはがきを出さなければいけないので、それに間に合わせるために、11月には届く様に、喪中のはがきを作って出す。

 

 正直言って、面倒くさい。

 

 こんなことを言うのは、不謹慎なのだろうけど・・・

 

 そして、2〜3ヶ月後に行うであろう一周忌のことを計画しなければならない。

 

 正直言って、面倒くさい。

 

 こんなことを言うのは、不謹慎なのだろうけど・・・

 

 本当は、何もしたくない。

 

 でも、そういう慣習だから・・・

 

 仕方なくやってる私。

 

 こんなことをしても、仕方ないのに・・・

 


 

 でも、ひとつ気づいたことがある。

 

 こういう面倒な慣習に従うことを通して、母が亡くなってからそれだけの月日が経っていることを実感している私がいる。

 

 そして、母が亡くなった直後は、時々あげていたお線香も、いまは全くあげていないことに気づいた私がいる。

 

 今日は、久しぶりにお線香でもあげてみようかな。

 

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