うつ病と共に歩み、生きる。そして、こだわりをとかす。

本当にあった昔の話

2019.07.31


 うつ病再発予防コーチの中野です。

 

 

 「カナダで暮らした経験がないと、一人前と見てもらえなかった。

 

 

 そんな村が日本にあったなんて…

 

 

 私は知りませんでした。

 

 

 もし私がそこで産まれていたら…

 


 
 前回に引き続き、夏期スクーリングの中で聞いた話を紹介します。

(スクーリングとは、実際に学校に行って、講義を聞くことです)

 

 

 今回の内容は、2日目の2限目。

 

 

 『海を渡った日本の村三世代の物語』というタイトルの講義。

 

 

 和歌山県日高郡三尾村。現:美浜町大字三尾。

 

 

 元々は、漁業を生業とする村でしたが、大阪との漁業争いで負け、新天地を求めて見つけたのがカナダでした。

 

 

 そうして、明治から昭和にかけて、出稼ぎの場所として、人が行き来するようになり、村内の人口の約半数が、カナダに移住した経験を持つという、特殊な環境が生まれました。

 

 

 カナダで二世や三世も産まれます。

 

 

 そして、村では英語が混ざった言葉を話し、洋風の食事と洋服を着るようになりました。

 

 

 そんなことから、アメリカ村と呼ばれることになりました。

 


 

 しかし、時代は戦争に突入します。

 

 

 カナダから見れば日系人は敵国人。

 

 

 例えカナダで産まれていても同じ。

 

 

 2万3千人が強制収容されました。

 

 

 戦争が終わっても差別は続きます。

 

 

 カナダで産まれた二世の子供達は、日系人であることに「罪」や「恥」を感じるようになりました。

 

・・・

 

 先生はおっしゃいました。

 

 

 差別されるということが、どれだけ人に影響を与えるのかを、振り返って欲しい。

 

 

 実際にあったことが、語り継がれずに、忘れられてはいけない。

 

 

 昔に何があって、その人達がどんな気持ちだったのかを共感して欲しい。

 

 

 そして、そこから何を学ぶべきかを考えないといけない。

 

 

 ということを。

 


 

 今も、カナダに多くの三尾村出身が住んでいるそうです。

 

 

 辛い時を乗り越えてきた仲間だからなのか結束力が強いそうで、葬式には「どこの有名人が亡くなったんだ?」と思われるほど、多くの仲間が集まるそうです。

 

 

 古き良き時代の日本がカナダにあるというのも、皮肉な話ですけどね。

 

 

 一方、日本の『アメリカ村』ですが大阪市内の『アメリカ村』と間違えて若者が洋服を探しに来るとか。笑

 

 

 かなり遠いはずですけどね。笑

 


 

 英語に対する苦手意識がある私から見ると、カナダ帰りのご老人達は憧れの存在です。

 

 

 英語を話せるだけでも格好いい。

 

 

 でも考えてみれば、英語を話せないと生活できないという環境にいるわけですから必死だったはずですよね。

 

 

 苦手だとか言ってる場合じゃない。

 

 

 話せないと生きていけませんから。

 

 

 自分の気持ちの甘さをつくづく実感することもできた講義でした。

 

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