『告げ口』って、いいことなんですか?
『密告』と『告げ口』と『告発』という言葉を聞いて、それぞれどのようなイメージを持ちますか?
なんとなく、こんなイメージがありませんか?
『告げ口』→ 姑息な行動
『告発』 → 勇気がある正義の行動
『密告』 → 身の安全を守った行動
でも、辞書を調べると…
密告:ひそかに知らせること。ひそかに告発すること。
告げ口:人の秘密や失敗などをこっそり他人に告げること。密告。
告発:
① 悪事・不正などをあばくこと。
② 犯人および告訴権者以外の者が捜査機関に対し犯罪事実を申告して、その捜査と被疑者の訴追を求めること。
引用元:大辞林 第三版
つまり、大辞林 第三版よれば、
『告げ口』と『密告』は同じ。
『密告』は『告発』に「密か」を加えたもの。
つまり『告発』+密か=『密告』=『告げ口』
言われてみればそんな気もします。
でも、当初思っていたイメージとはずいぶんと違うわけです。
『告げ口』は姑息な行動で『告発』は勇気ある正義の行動だと思っていたわけですが、定義上違いは「密か」かどうかということだけです。
私にとって「密か」が、姑息なものというイメージがあるようです。
なぜ今回、この言葉をテーマに挙げたのかと言いますと…
日産自動車の会長カルロス・ゴーン氏逮捕のニュースがあったからで…
と言っても、ゴーン氏についてとやかく言うつもりはありません。
実際に何があったのは私は知らないわけですし、詳しくしりたいとも思いません。
気になったのは『司法取引』という言葉なんです。
なんでも、ある刑事事件の犯罪者が他人の犯罪の情報を明らかにすることで、自身の刑事処分が軽くなる制度とのこと。
というわけですから、今回、ゴーン氏の犯罪に関する情報を明らかにすることで、自分の刑事処分を軽くした人がいたわけです。
と言っても、その方の行為についてとやかく言うつもりもありません。
その方には、その方の事情があったわけでしょうから。
私は知りませんが。
私がすごく気になっているのは…
「他人を蹴落とすことで自分が楽になる」ことを奨励する制度について。
「自分が楽になるためなら、他人を蹴落とすのは正しいことです」と堂々と言われている気がするんです。
なんかモヤモヤするんです。
道徳的に間違っていることを、国が勧めている気がするんです。
「他人を蹴落とせば楽になるよ」
って。
私は嫌いです。そんなの。
別に「他人の為に自分が犠牲になるべきだ」と言うつもりはありません。
他人を蹴落としてまで楽になりたいとは思わないって言いたいだけです。
自分がやった罪を軽くするために、他人を告げ口するなんて。
念のため、もう一度言いますけど、今回密告した人を責めるつもりなんて全くないんです。
そういう行為を奨励する制度に腹が立つんです。
極端なことを言ってしまえば「悪いことをしても、もっと悪いことをした人のことを告げ口すれば許されるよ」ってことですよね。
そんなことでいいんでしょうか?
「私は悪いことをしたかもしれないけど、もっと悪いことをしている奴があっちにいるよ。だから許してよ」
って?
おかしくないですか?
おっとっとっと…
こうやって、赤の他人のニュースを見て勝手に腹を立てたり、ストレスをためたりするから、病気になるんですよね。
ついついやってしまいます。
私の悪い癖。
でも、とりあえず気持ちを吐き出せたのでスッキリしました。
最後まで聞いて頂いて、ありがとうございます。
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