たった一文字で泣けたり怒ったりすること
・親の教えは心に染み込ませましょう
・親の教えは数え切れないほど多い
・親は手本にしている
急にこんなことを言ったら
「あれ?どうした?新興宗教団体にでも入信した?」と言われるかもしれませんが…違います。(笑)
これはある歌の一部です。
今日から合唱団の練習が始まった曲『てぃんさぐの花』の訳から抜粋したものです。
以下は、沖縄県庁のホームページにあった歌詞と訳を引用したものです。
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てぃんさぐぬ花や 爪先(ちみさち)に染(す)みてぃ親(うや)ぬゆしぐとぅや 肝(ちむ)に染みり
(1番の訳)ホウセンカの花は 爪先に染めて親の教えは 心に染めよう
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天(てぃん)ぬ群(む)り星(ぶし)や 読(ゆ)みば読(ゆ)まりしが親(うや)ぬゆしぐとぅや 読(ゆ)みやならぬ
(2番の訳)天に群がる星は 数えれば数えることもできようが親の教えは 数えることができない
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夜(ゆる)走(は)らす船(ふに)や 子(に)ぬ方(ふぁ)星(ぶし)目当(みあ)てぃ我(わ)ぬ生(な)ちぇる親(うや)や 我(わ)ぬどぅ目当(みあ)てぃ
(3番の訳)夜走る船は 北極星が目当て私を生んでくださった親は 私を目当てにしている
引用元:沖縄県庁のホームページ
正直言って、1番と2番に関しては理解できても、3番が理解できませんでした。
「親は私を目当てにしている?」
「ん?違くない?逆じゃない?」
そう思って、他の訳を探してみると
「親は私の目当て(手本)だ」
と訳しているサイトもありました。
「うんうん。これなら理解できる」
そう思いましたが…
何かひっかかるんです。
何かありきたりの言葉過ぎて…
それに…
必ずしもそう言えないと思う気持ちもあって。
非常に残念なことですが…
子供に虐待をする親もいます。
育児放棄する親もいます。
子供を殺してしまう親もいます。
そんな親もいることがわかっている状態で「親は私の目当て(手本)だ」と言われても「あぁそう。あなたの親は手本になる人だったのね」って感じ、他人事のようにしか受け止められません。
逆に「親を手本にしなさい」なんて言われたらこう言い返してやりたい。
「手本になれる親に成りなさい!」
って。
それで、改めて考えてみたんです。
もしかすると、沖縄県庁のサイトにあった「親は私を目当てにしている」という訳の方が正しいかもしれない。
沖縄県民の愛唱歌にまで選ばれた歌の訳を沖縄県庁が間違えるはずがないんじゃないか。
もしもそれが正しいとすると、どういう意味になるんだろうか。
夜走る船は 北極星が目当て
私を生んでくださった親は 私を目当てにしている
まず『夜走る船は…』の部分はこういう意味だと思います。
夜中に走る船は、周りの景色が見えないため方向を間違えやすい。
だから明るく輝く北極星を目当てにして、進むべき方向に進んでいる。
たぶんこれは、つぎにつながる比喩だと思うわけです。
これを踏まえて『私を生んで…』の部分を解釈してみます。
子育てに必死な親は、周りの景色が見えないため方向を間違えやすい。
だから、明るく輝く子供を目当てにして、進むべき方向に進んでいる。
そう解釈してみたら…
なんだか込み上げるものあり…
(いまも書きながら泣いてます)
大変なんです。
そう解釈してから、その部分の歌詞にくるたびに声が詰まってしまって。
これから、この歌を練習しなくてはいけないのに。
演奏会で歌わないといけないのに。
でも、よく見ると沖縄県庁のサイトにこうも書いてありました。
てぃんさぐぬ花は作者、発祥地が不明なことから、歌詞や訳、表記について正式なもの、統一されたものはありません。
ですって。(笑)
私がこだわっているのは
訳1「…親は私を目当てに…」
なのか
訳2「…親は私の目当てに…」
なのかという、たった1文字の違いだけなんですけどね。
たった1文字の違いなのに、訳1は泣けるけど、訳2は好きになれない。
日本語って難しいですね。
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