本来の自分に戻る
昨日の話の続きです。
昨日は、
・「生きていても、いいことはない」と思い、自殺しようとした小学校時代
・私を責めてきた大人達に後悔させることがができると思っていた
・包丁を持ったが…死に方が分からずに…諦めた
・どうせこんなものだと、開き直った
・誰にも心が傷つけられないように、心を深く沈め、頑丈な扉で蓋をした
という話をしました。
そして、それによって誰かの言葉で傷つけられることはなくなったけど…
誰かの言葉で暖かくなることもなくなった。
それがマズイことだとは、その時は気づいてなかった。
というところで終わりました。
その続きです。
◎無感動無関心
中学や高校でも、それなりのことはありましたが、私は冷めていました。
何があっても気にならないんです。
誰がどうなろうと、何がどうなろうと、関係ないと思っていました。
両親が死んでも、友人が死んでも、涙一つ流さなかったと思います。
だって、あくまでも他人ですから。
それどころか、自分が死ぬとしても動揺しなかったと思います。
生きている実感がありませんから。
◎何となく変
「みんなも同じ気持ちでしょ?」
そう思っていました。
だから、誰かが怒ったり哀しんだりしてるのを見ると「なんでそんなフリをするんだろう」と不思議に思ってたんです。
でも、違っていたようなんです。
どうやら、私だけ変らしいと気づき始めたんです。
なので、自分が変だと気づかれないように、喜怒哀楽を振る舞いました。
本当の自分を隠さないといけないと思っていたんです。
◎得るものと失うもの
心に蓋をすることで、傷かない心を得たけど、人としての心を失った。
それは、今だから言えることです。
その時の私は『心に蓋をしたこと』と『感動を失ったこと』が紐づいてるとは気づいてなかったんです。
というか『心に蓋をしたこと』さえ忘れていました。
それをしたのは幼い時でしたから。
そして、勝手に「私は変なんだ」とレッテルを貼って、普通の人のフリをし続けたんです。
◎本来の自分に戻る
そんな自分を偽った人生を、社会人になるまで続けました。
そして社会人になって…あることがキッカケで、本来の自分に戻ることができました。
もうその時は、感動の嵐でした。
「私にも感動することができる!」
「美しいものを美しいと思える!」
「美味いものを美味いと感じる!」
「人の言葉を暖かく受け入れる!」
「大切なものが大切だと思える!」
一生手に入らないと諦めていた感情が、自分の中にあったんです。
もう嬉しくて嬉しくて…感動できることに感動して、涙を流しました。
今では、感動屋と言われますけど…昔はこんな感じだったんですよ。笑
もしもあなたの周りに、本当の自分を見失ってる人がいたら「こんな奴もいるんだよ」って教えてあげて下さいね。
うつ病に伴う悩みや心配について、わたし自身のウツ病経験を踏まえて、解決に向けた支援をしています。
まずは気軽に、ご連絡ください。
イベントもやってます。こちらにも気軽にお越しください。