人生に誇りと自信を取り戻すための一文字
ついこの前まで暑い日が続いていたと思ったら、11月に入りまして…
早いもので、年末まで残り2ヶ月を切っています。
春や夏の間だったら「今年中に…」という目標を立てても無理だとは思わないし、何だったら「今年中じゃなくて、もうちょっと早くやろうよ」って言われたり思われたりしがちですが…
この時期に「今年中に…」というと「大丈夫?本当にできるの?」と心配になってきちゃいますよね。
この時期に「今年中に…」と言えば「2ヶ月以内に…」と言ってることと同じですから。
だから、いま本当にヤバイんです。
「早ければ10月中に。最悪でも、今年中には…」と言っていた出版ですが…先日から、全く進んでいません。
言い訳すれば山ほど出てきますが、そんな言い訳をしても仕方がないことはわかっています。
というか「一体、誰に対して言い訳をしているの?」ってことですよね。
自分で期限を決めたことを、自分で間に合わない状況にしておいて「私のせいだけじゃないんです」なんて自分に言い訳したところで、何の慰めにもなりません。
そう。「進んでいない」のではなくて「進めていない」だけなんです。
それよりも優先したいことがあり、私は自ら他のことを選んだんです。
どうしても進めたければ、他のことを全て断わることもできたはずです。
でも私はそれをしなかった。
「やれなかった」わけではなくて、「やらなかった」だけなんです。
一文字変わるだけで、随分と印象が違うと思いませんか?
普段、私たちは何気なく
・やれなかった
・言えなかった
・見えなかった
という言葉を使いますが、これを使うことで「自分のせいではない」ことを匂わせているわけです。
・やろうとしたんだけど…
・言おうとしたんだけど…
・見ようとしたんだけど…
暗にそう言おうとしてるわけです。
もちろん、本当に自分以外の何かによって阻止される場合もあります。
例えば、自然災害などは私達の力でなんとかできるものではありません。
それで予定が崩れるなら仕方ない。
病気になることも、ある意味仕方がないことです。
(予防しきれない病気もあるから)
交通による遅延も、ある意味仕方がないことです。
(避けきれない遅延もあるから)
でも、そういうことが原因ではなくて、自分がコントロールできる範囲の中で、予定通りに進まないのなら…
それは
・やらなかった
・言わなかった
・見なかった
だけなんです。
「全ては自分のせいだ」
なんて言うつもりはありません。
たまには「全てを私が選んでいる」という立場にたってみませんかという提案をしたいんです。
誰かのせいにしたり、何かのせいにすることでストレスが減るのならいいんですが、誰かのせいにしたり、何かのせいにすることでストレスが増えていないだろうかと思うわけです。
あのことがあって、やれなかった。
あの人がいたから、言えなかった。
あれが前にあって、見えなかった。
そう言ってしまうから「あのこと」や「あの人」や「あれ」に対して怒りや不満を感じるんじゃないですか?
それを一文字だけ変えて
あのことがあって、やらなかった。
あの人がいたから、言わなかった。
あれが前にあって、見なかった。
そう言ってしまえば「あのこと」や「あの人」や「あれ」に対して怒りも不満を感じなくなりませんか?
それどころか「何があろうと自分が選んだことだ」と、何か誇りのようなものを感じたりしませんか?
要するにそういうことなんです。
「あ〜ぁ、せっかくの休日なのに、ゆっくり休めなかった」
そう言ってしまうような休日にして欲しくないんです。
もしも、やることがいっぱいあってゆっくりする時間がなかったとしても「ゆっくり休まなかった」と言うようにして欲しいんです。
たった一文字変えるだけですけど…
これが続けば、きっと人生が変わるはずです。
まずは、この休日からはじめてみてください。
私は、何よりも本の執筆を優先するようにします。
もしも何か飛び込みの用事が入っても…その時は「書かなかった」と潔く認めます。(笑)