実際の私を否定していた私
今回は、自己受容について話したいと思います。
自己受容とは、自己(自分自身)の受容(受け入れて、とりこむこと)をするということ。
この自己受容は、誰がするかというと、自分自身がするわけですが…
ちょっと変だと思いませんか?
自己受容を、ここではあえて簡単に「自分自身を受け入れて取り込むこと」と定義すると、それをするのが自分自身だということになると、以下の文章になります。
自分自身が、自分自身を受け入れて取り込むこと。
こうなると、ちょっと変だと感じて頂けるかと思います。
自分自身と自分自身は同じなのに、受け入れて取り込むって何?って。
勘が良い方は、すでにお気づきかもしれませんが、実は、主語である自分自身と、目的語である自分自身が違うということなんですよね。
そして、それは一部の人ではなく、多くの人が。
というか、完全に一致している人の方が少数派だと思っています。
それについては、後で触れるとして…
この話を書こうと思ったのは、ある気づきがきっかけでした。
先日、友人が主催するラジオに出演した時の音を聞いた時に、ある音が、すごく気になったんです。
それは、私が鼻をすする音でした。
自分では、そんなに鼻をすすってたとは気づいていませんでした。
どうやら、私の癖だったようで。
そして、気づいた瞬間、驚きと恥ずかしさでいっぱいになりました。
そして「こんな悪い癖があったとは知らなかった!すぐに治さないと!」と思いました。
そして、そんな話をブログに書いたところ、ある方からメッセージを頂きまして…
そのやりとりの中で、自己受容の話になったんです。
もうお気づきかもしれませんけど、ここには二人の自分がいるんです。
それは『鼻をすすっていた自分』と『それを恥ずかしいと思う自分』。
言い換えれば『実際の私』と『実際の私を否定している私』です。
こう言えば、あなたにもピンとくるところがありませんか?
・何で私はこうなんだろう
・あの時、何でああだったんだろう
・この先もずっとこうなんだろうか
とか。
本当はこうあって欲しいと思う自分と、実際の自分にギャップがあるわけです。
綺麗に言えば「理想の私と現実の私が違う」という話かもしれませんが…
実は『こうあって欲しい』と思っていることが間違ってるかもしれない。
もしかしたら、現実離れし過ぎてるのかもしれないんです。
また一方で『実際の自分』の捉え方が間違っているかもしれません。
私達は、実際に起きていることを、そのままでは捉えていませんから。
必ず『解釈』が入りますから。
そして、その『解釈』を間違うと、現実を間違って捉えることになるわけです。
先ほどの私のように。
先ほどの話で言う『現実の私』は、事実だけで言うと「鼻をすすってた」というだけ。
それを私は「耳障りな音がする」→「なんて悪い癖だ」→「治さねば」と解釈したわけです。
ほぼ自動的に。ほぼ無意識に。
(認知行動療法で言う『自動思考』)
だから、自分がそう解釈したことも意識しないうちに…そう解釈したことが正しいことなのかも検証しないうちに…現実の自分を否定したわけです。
そこにメッセージを頂いたんです。
ざっくりと言うと「気にし過ぎなんじゃないですか?」って。
はっ!と気づかされました。
自分を受けいれてないことにさえも気づいてなかったことに。
そして、メッセージをやりとりさせてもらう中で、自己受容の話になったので、今回書かせて頂くことにしたんです。
気づかせてもらった上に、ブログのテーマまでヒントを貰って、大変感謝しております。
もちろん、ご本人にもお伝えしましたけど。
長々と話してきましけど、これで、自分自身が自分自身を受け入れるとはどういうことなのかをご理解頂けたかと思っています。
そして、勘の良い方ならお気づきかと思いますが、この自己受容は難しいものなんです。
だから、もしいまあなたが自己受容をできていないとしても、自分を否定する必要はありません。
完全に自己受容出来ている人の方が少ないんですから。
自己受容出来てない人が、ほどんどなんですから。
もちろん、私も含めて。(苦笑)
だから、いますぐに自己受容しようとせずに、出来るところからボチボチとやっていきませんか?
私と一緒に。
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